硫黄地獄

2009年09月30日

つなぎ日記

毎回、2000ワード程度に収まるよう日記を書いています。
ちなみに「程度」は前後800ワードくらいの遊びを示しています。

まあ、でも多い日もあれば少ない日もありますしね。
だから平均すると2000ワードくらいなんじゃないかと。
書いていて気が付いたんデスが、多い日とか少ない日とか卑猥デスね。
どっちでも安心ということは、ボクのブログは羽付きに違いありません。

それはともかく、大体1日に2000ワードということは原稿用紙にすると5枚ってことになります。
で、大体120くらいの日記を書いてしまったということは原稿用紙にすると600枚ものゴミを垂れ流してしまっていることに。

正直、自分の奇行に驚くばかりデス。

しかし、やはり原稿用紙600枚というと驚いてしまいますね。
ボクの卒論は60枚程度だったので、ちょうど10倍ってことに。

ちなみにボクの出た学部では「卒論は原稿用紙80枚程度、PC等を使用する場合はA4で15枚程度」みたいな感じだった記憶があります。

そんなルールだったのでボクは必死に微妙にフォントのQ数を上げたり行間や字間を広げたりして、「文字数的には原稿用紙60枚程度だけど、A4的には枚数をクリア」という宇宙の法則を乱す姑息な手段を用いて卒論を執筆しました。

そんなこんなで紆余曲折あったものの無事に卒論を提出し、後は口頭試問を待つだけの状態に。

口頭で問い、試すってエロいですね。
オーラルで(ry

さてボクの担当教官が受け持つ学生は8・7・6・5・4年生が揃っているというストレート完成状態でした。

そんなゴミ人間どもが一同に揃った口頭試問の日、ちょっとした衝撃が起きました。

一般的にはどうだか知りませんが、ボクの担当教官の口頭試問の順番は学年順、つまり8年生からスタートするのが例年のことだったそうデス。
これは、卒論を提出するのが5回目だというゴミ先輩に聞いた情報だったので間違いないと思います。

しかし、宇宙の法則は乱れました。
ボクが1番最初に呼ばれてしまったのデス。

通常の口頭試問では、学生の提出した卒論に関するディスカスが行われるそうデス。
ボクは知らないんで、本当のところは分からないデスけどね。

だって、ボクは口頭試問を行うハズの空間で何故か40分ほどボクの4年間に及ぶ愚行について糾弾されていたんデスから。
ちなみに平均すると口頭試問って10分くらいで終わるそうデス。
うん、ボクは知らないデスけどね。

人生舐めてるんじゃねーぞ的な糾弾デス。
何でこの教授はボクのことに詳しいんだろうと疑問で仕方なかったんデスが、ボク自身忘れていたようなことまで蒸し返してくるという徹底さでした。

完全に放置主義の大学だったのにホワイ?
そんな感じでした。

ちなみに「こんな卒論じゃ卒業出来んぞ!」と言われたんデスが、ボクは3年の夏休みを迎えた時点で既に留年が決まっていたのは秘密デス。

あんだけボクのこと詳しくて、何で留年が決まってたことを知らないんだよ…。

てな感じの思い出がいっぱいな卒論の10倍も下ネタを書き殴ってかと思うと感慨深いものがあります。

しかし、卒論とか書くのがイヤでイヤで仕方なかったのに、何でゴミブログの更新だけは欠かさずにしてるのか不思議で仕方ありません。
posted by 二酸化硫黄 at 00:50| Comment(5) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年09月29日

青春という病気

2ちゃんをプラプラと覗いていたところ、とあるスレを見つけました。
「ショートヘアの女の子を抱きしめて両手でわしゃわしゃしたい(`;ω;´)」

わしゃわしゃわしゃわしゃわしゃわしゃわしゃわしゃしたい!
ボクもわしゃわしゃしたい!

したくてしたくて、叫び出しそうになりました。
やってみたいデスよね、普通?

多分、その女の子は陸上部とかなんデスよ。
で、六角を自転車の後輪につけて2人乗りで下校しちゃったりするんじゃないでしょうか、きっと。

そして、わしゃわしゃするんデスよ。
もう、たまらないデスね。
頭をわしゃわしゃっした後、そっと指の匂いをかぐ・・・。

何だか、失われた青春的なものが蘇ってきませんか?
回春ってヤツですね。
妙な薬を赤ひげ薬局で購入するより、よっぽど春に戻ることができると思います。l

「青春」
この言葉にボクは特別な感情を持っています。
そのせいで、確実にボクは青春をこじらせてしまっていると思うんデスね。

何でボクは青春をこじらせてしまったのか?
今日は、ちょっとその辺りを書いてみようかと思います。

ボクは共学の高校に通っていました。
そして、基本的に楽しい思い出でいっぱいデス。

ただ、それは決してラブコメ的な楽しさではなく、一種のファンタジーともいえるような高校生活でした。

ボクの通っていた高校では、麻雀が流行っていました。
少なくともボクらの代では、とても流行ってたんデスよ。
その結果、高校の近くに住んでいる友人の家で麻雀を行うことがしばしばありました。

とはいえ一人暮らしでなく実家である以上、どうしても打てない日だって当然あります。
でも、雀荘に行くと場代がかかるし、そもそも制服だと厳しい。
そこでボクらは考えました。
「校内で麻雀をすれば良いじゃん!」

ボクらは早速、場所探しに奔走しました。
ピッタリの場所は、すぐに見つかりました。

それは、前年度に廃部となったワンダーフォーゲル部の部室デス。
早速ボクらはワンゲル部の部室を雀荘に改装すべく、作業を開始しました。

まず雀卓の調達。
あまり使われない教室だった多目的室に侵入し、机を2つと椅子を3つガメました。
これをピッタリ合わせると、雀卓代わりにピッタリなんです。

もう1つの椅子は、近所のゴミ捨て場から回収したベンチを設置しました。
ベンチなので、複数人が座れます。
打っている人間だけでなく、ギャラリーの座る場所も確保できたってワケです。

もう誰も使わないだろ、ってことでワンゲル部はの部室は蛍光灯が外されちゃっていたので、体育館下のトイレに行き蛍光灯を奪取しました。

だいたい、こんな感じでワンゲル部は完全な雀荘に変貌を遂げたのデス。

当初はコッソリと行われていた麻雀デスが、次第にメンツが増え15人くらいが日替わりでワンゲル部を使用するという状態に。
メンツが集まらなくても旧ワンゲル部に行けば、誰かしらメンツがいる。
そんなユートピアが出来上がったのデス。

しかし、大きな問題が起きました。
人数が増えすぎ、ボク達のアンダーグラウンドな麻雀活動が、ノット・アンダーグラウンドになってしまったのデス。
また雀荘の環境を整えるために、あまりにイリーガルな行動をとりすぎたってのも問題を大きくした一因でした。

生徒会指導部に目を付けられてしまったのデス。
生徒会指導部ってのは、生徒会執行部(生徒の集団)の顧問でいわゆる生徒指導を担当している教師達のことを指しています。
もっとも執行部は指導部の傀儡ってワケじゃありませんでしたけどね。

とある日のことデス。
ボクらはいつものように麻雀を打っていました。
すると、突然複数の足音が聞こえてきたのデス。

ガンガンガンッ!
扉を叩く音が部室に響きました。
「生徒会だっ! ここで何をしてる!」

ガサ入れデス。
指導部の教師(ハゲ)の声デス、間違いありません。
幸い、入り口には鍵をかけていました。
とはいえヤツらは合い鍵を持っているハズです。

そこでボクらは窓から脱出することにしました。
ワンゲル部の部室は2階だったのデスが、そんなことは気にしていられません。
その時部室にいた6人は、我先にと2階から飛び降りたのデス。

間一髪、当局に踏み込まれる前に逃亡することに成功しました。
ただ内偵は済んでいたようで、ボクは全校放送で呼び出されました。
ボクは「ワンゲル部乗っ取りに関する案件」について事情聴取をされるも2時間に渡って完全黙秘を貫き、事なきを得ました。
どうも、ボクは完全に首謀者と目されていたようデス。

といった、少年マンガというかラノベ的な高校生活をボクは送ることができました。
なので、ボクの高校生活に対する満足度はかなり高いものだと思います。

ただし、いわゆるラブコメ的要素は限りなく低い水準だったといえます。

ここが問題なんだと思います。
普通は血湧き肉躍るような展開とラブコメ的展開とのバランスは釣り合っちゃうものだと思うんデスね。

なぜなら、こういう騒ぎを起こすキャラクターというのは、何らかモテる要素があると思うんデスよ、普通は。
だから必然的にラブコメ分が分泌され、バランスが取れちゃうんだと思います。

逆に燃え展開の希薄な生活を送ると、ラブコメ分も比例して少なくなるんじゃないでしょうか?
結果として、こちらも燃えと萌えのバランスはとれてしまします。

多いにしろ少ないにしろバランスの取れちゃった人は、ちゃんと青春と折り合いを付けることが可能だと思うんデスよ。

少なかった人は、人生こんなもんさ的な諦観を。
多かった人は、人生こんなもんさ的な楽観を。

でもボクは燃え的要素の過剰な学生生活を送ってしまいました。
だから、どうしても納得できないんデス。

もっとラブコメを!
燃えと同じ分量の、燃えと釣り合うだけの萌えを!
どうしても、そう思ってしまうんデス。

そんなことばかり考えながら10年過ごしていたら、立派に青春をこじらせてしまいました。多分、もう治らないと思います。
そんな重度の青春病患者であるボクは、たとえば女=謎という図式を全く消化できずにいます。

若い時に消化し残した青春が、ずっと胃もたれのように残ってしまった結果、何だかちょっと歪な青春を抱え込むハメになった、そんな気がしてなりません。
前述の女子と自転車を2人乗りして、ショートカットの髪の毛をぐしゃぐしゃのわしゃわしゃに・・・みたいなアレです。

だから、ボクは女子=謎という方程式に対して憧れを持ち続けています。
たとえ、どんなに憧れを壊されようとも諦めずに憧れ続けています。
そんなワケで栗山千明が同棲しているとか黒木メイサがうんたらかんたら、って言われるとウッカリ死にそうになるけれど、しっかり耐えられているんじゃないでしょうか。

そんな青春に囚われたボクは、現実を見つめるためのリハビリとして毎日毎日ブログの更新をしてるワケです。
みなさん、ボクのリハビリに付き合ってくださってありがとうございますね^^

マンコ。
やっぱり1日に1回はマンコって書かないと落ち着きませんね。
ではでは、また明日。
posted by 二酸化硫黄 at 00:38| Comment(8) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年09月27日

決断

何だか沢尻エリカが解雇されたみたいデスね。
シャブPと同じく奄美に行ってたとか、レイブバリバリなイビザに行ってたりとか色々な話がありましたが、やっぱりラリラリだったりしたんでしょうか?

仕事が無くなっちゃうんだとしたら、是非ともAVに進出して欲しいものデスよね。

加藤鷹「ねぇ、気持ちいい? 気持ちいい? 気持ちいいでしょ? どうなの? ここは? ねぇ、ここは気持ちいい?」
沢尻エリカ「別に」

こんなシチュエーション的SMを売りにしたAVにすれば良いのではないでしょうか?

とはいえ、なかなか決断をすることは難しいでしょう。
人間というのは決断を避けたがる生き物だからデス。

これは優柔不断とか、そういう話ではありません。
むしろ、カンタンに決断してしまう人は蛮勇過ぎると思います。

何故なら、決断するということは今までの状況を変化させることに他ならないからデス。

たとえ今の状況が劣悪だったとしても、新しい状況に飛び込むことは勇気がいりますよね?
だからボク達人間は決断というものを、少しでも後送りにしようとしてしまうのデス。

では、どうすれば相手の決断を促すことができるのか?
それは、小さな決断を積み重ねさせるころによって解決します。

大きな決断は、なかなかできるものではありません。
だから、まずは小さな決断をさせることで、より大きな決断への抵抗を減らすというプロセスが必要となるのデス。

小さなYesを受け取るためにボク達人類が開発した魔法の言葉があります。
「ちょっと、お茶でも飲みませんか?」

「お茶を飲む」という、比較的ハードルの低い要求を女子に提示することで、相手の決断への反発を和らげているワケですね。

そして、「飯でも食べない?」「カラオケでも行く?」といった、様々な決断を繰り返させ、最終的に「セックスさせてください><」という大きな要求へと繋げていくワケです。

「お茶」という単語にはセックスという要素は一切含まれていません。
だからこそ、先人達はこのテクニカルタームを駆使し女子のマンコをオープン・ザ・セザミすることに成功してきたのデス。

しかし「ちょっと、お茶でも飲みませんか?」は、あまりに優秀過ぎました。
あまりに優秀だったために、テレビ・小説・マンガ等々で繰り返し使われてしまったのデス。

その結果、何が起きたのか?
日本中に「お茶を誘う=セックス」という方程式だとナレてしまったのデス。
本来、セックスと何も関係の無い「お茶」という単語に、性的な意味が付随するようになってしまいました。

そうなると、もう「お茶を誘う」というテクニックは使えません。
何故なら「お茶の誘い」を受ける=「セックスOK」と女子側が考えてしまうからデス。

そう、今や「お茶を誘う」とはストレートにセックスを要求するワードとなっているのデス。
そのせいで、友達とヨドバシとかに行って喉が渇いても、「お茶とか飲みたい。疲れた。休憩したい。」と言うことすらできないのが、21世紀の現状となっています。

こんな発言のせいで、ボクのアナルヴァージンを捧げるハメになっては困りますからね。

以上のように、先人達が生み出した「お茶を誘う」というテクニックは現在の日本では通用しないことが分かりましたよね?

そこで今のボク達にとって急務なのは、新たな「小さなYes」を開発することなのデス。

これは決して性的なものであってはダメです。
そして、相手に「まぁ、それくらいなら…」と思わせる必要があります。
そして、一番重要なのは「次のステップに繋がる」ということデス。

たとえば「道を教えてください」と女子に要求した場合、おそらくカンタンに道を教えてくれはすると思います。

しかし、その後どうやって次のステップに繋げるというのでしょう?
ラブホテルへの道を聞いて「よく分からないから連れて行ってください」とか、ラブホテルに着いたら「部屋の選び方が分からないから選んでください」とか、様々な方法は考えられますが、若干ハードルが高いように思えます。

だからこそ、明確に「次のステップ=セックス」に誘導可能なタームを考案することが必要なのデス。

しかし決して天才でないボクの脳からは、全くの新たなテクニックは出てきそうにありません。

だから、先人達の智恵を拝借することにします。

「ねぇねぇ、先っちょだけ。先っちょだけ、どう?」

いかがか?

決して「プリーズ、セックス」という大きな決断を要求することなく、ゴール地点であるセックスに狙いを定めた要求。

このタームをぶつけられた女子は、十中八九OKでしょう。
「まぁ、先っちょだけなら…。」

先っちょOKを取り付ければ、何の問題も無しデス。
正直、マンコよりフェラチオの方にこそボクの関心は向いているワケですしね。

「先っちょ」が何を意味しているのか分からない女子と遭遇した場合、話はもっとカンタンです。

「この間、ananに載ってたよ?」
これまた魔法のワードです。
こういった魔法のワードをフルに活用することで、ボク達のゴールは近づいてくるのデス。

皆さん、是非とも活用してみてください。
万が一の時は精神病を装うことをオススメします。

道行く女性に「先っちょ」を要求するというファンタジックな行動がある分、心神喪失という主張は比較的通りやすいと思いますので。
posted by 二酸化硫黄 at 23:11| Comment(4) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年09月26日

「常識」の彼岸

「良き桶屋は良きチェキストでもある」
同志レーニンはそう言って、善右衛門を賞賛した。

昨日の「桶屋日記」のコメ欄は最終的に上記のように落ち着く予定デス。
つまり、「風が吹けばチェキストになる」ということデスね。

今日はボクがリスペクトしている谷川俊太郎の詩を紹介したいと思います。

なんでもおまんこ   谷川俊太郎

なんでもおまんこなんだよ
あっちに見えてるうぶ毛の生えた丘だってそうだよ
やれたらやりてえんだよ

おれ空に背がとどくほどでっかくなれねえかな
すっぱだかの巨人だよ
でもそうなったら空とやっちゃうかもしれねえな
空だって色っぽいよお
晴れてたって曇ってたってぞくぞくするぜ
空なんか抱いたらおれすぐいっちゃうよ
どうにかしてくれよ

そこに咲いてるその花とだってやりてえよ
形があれに似てるなんてそんなせこい話じゃねえよ
花ん中へ入っていきたくってしょうがねえよ
あれだけ入れるんじゃねえよお
ちっこくなってからだごとぐりぐり入っていくんだよお
どこ行くと思う?
わかるはずねえだろそんなこと
蜂がうらやましいよお
ああたまんねえ

風が吹いてくるよお
風とはもうやってるも同然だよ
頼みもしないのにさわってくるんだ
そよそよそよそようまいんだよさわりかたが
女なんかめじゃねえよお
ああ毛が立っちゃう
どうしてくれるんだよお

おれのからだ
おれの気持ち
溶けてなくなっちゃいそうだよ

おれ地面掘るよ
土の匂いだよ
水もじゅくじゅく湧いてくるよ
おれに土かけてくれよお
草も葉っぱも虫もいっしょくたによお

でもこれじゃまるで死んだみたいだなあ
笑っちゃうよ
おれ死にてえのかなあ

ボクはこの詩を読むたびに絶望的な気持ちになってしまいます。
だって、ボクが言いたいことは全部この詩の中で表現されているようなものデスもん。

みなさんはいかがでしょうか?
気候の良い日にハイキングとかに行って、緑の丘でゴロリと寝転ぶとするじゃないデスか。

ボンヤリと空を見つめていたら何となく性欲とかじゃなくて、本当に何となく「ああ、空とやりたいなあ」とか思いますよね?

空だけじゃなくって地球とだって、やれるものならやりたいデス。
穴を掘って体ごと地球のマンコに入り込んで行きたいデスよね?

でもそんな様子は他から見たら、というか自分からしたって客観的に見たら「人として死んでいるようなもの」としか思えないワケで。

だからボクらは空とセックスしようなんて思わないし、地球とセックスしようとも思わないんデスよ。
正確には、「したくてもしないようにしている」デスね。

でもボクらの原始の部分は空との、そして地球とのセックスを求めています。
これは仕方ないことなのデス。

みなさんはブスと美人、どちらとセックスしたいデスか?
美人を選びますよね、普通は。

「世の中にはブス専がいるじゃん」
そんな意見もあるかと思います。
でも、ブス専の人は「ブスが好き」なんじゃなくって、美的感覚がズレているだけなんだと思うんデスよね。
つまり、ブス専の方にとってはボクらから見たらクリーチャーにしか見えない存在がアプロディーテーに見えているのであって、決してブスが好きってワケではないんだと思います。

そんなワケで、ボク達人間は不美人よりも美人を求めています。
これは外見的な問題に限りません。

心の卑小な人と心の寛大な人、そのどちらに魅力を感じますか?
これに関しては若干の異論があると思いますが、一般的には後者なのではないでしょうか?

このように、人は偉大なものを求めてしまう本能を持っています。
偉大なものを求めるからこそ、ボク達人間は進化を繰り返してきたワケなのデス。

昨日よりも今日。
今日よりも明日。
ボク達は少しでも立派になりたくて、挫折して涙しているのデス。

そんな人間が空や地球といった、畏怖すべき大自然に憧れを抱くのは自然な流れだといえます。

敬愛するからこそ、愛を抱く。
そしてボク達人間が生き物である以上、愛がリビドーと結びつくのは必然だといえるでしょう。

何故ならボク達男子の愛は、主に生殖器から分泌するのデスから。
いや、男子だけとは限りません。
女子の愛だってマンコから垂れ流れますし、あるいは乳首から滴ることもあるでしょう。

つまりセックスとは、ボク達人間にとっては最大のコミュニケーションツールなのデス。

人間同士でさえ、言語による相互理解は困難を極めます。
ましてや言語どころか自我さえ持たない大自然との理解を図るには、肉体言語たるセックスを介したコミュニケーションを活用するしか道はありません。

ボクのように自然を愛する人達ならば、誰もが同意してくれると思います。
このボクらの純粋な思いを否定するのが「常識」ってヤツです。

「セックスは同じ種とだけするべし」
コレがボク達人間が持っている遺伝子レベルの「常識」デス。

それだけじゃありません。
「自分と同じ肌の色をした女を抱く」
そういった文化という名の「常識」もボクらは持っています。

同じ人間同士でさえ、この調子デス。
自然に愛を抱くなんて、完全に既知の外扱いでしょう。

実にくだらない!
何が常識だよ!
ボクは、そんな常識なんか従いたくなんかないね。

だからボクはMET-ARTをブックマークしているのデス。
少しでも、常識という名の偏見が崩れることを願っています。
posted by 二酸化硫黄 at 20:53| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

原因と結果とその先

数日前、小学校以来の友人からメールがありました。
その内容は実にシンプル。
「住所教えて」
以上でした。

当時のボクはテロとの戦いを決意し、精子をペットボトルで保存し年末にお歳暮的なギフトとしてお贈りするというミッションを立案していたところだったので、ちょっと躊躇したものの、勇気を出して住所を伝えるべく返信しました。

躊躇した理由としては、ペットボトルに入った精子を送りつけられたらどうしようという恐ろしさが半分、精子の入ったペットボトルが届いたらどうしようという怖さが残りの半分でした。

戦々恐々としながらボクは宅急便を待ちました。
そして今朝ついに荷物が届きました。

結果から言うと、ボクの想定したような恐怖は起きませんでした。
ボクの幼馴染がペットボトルで精子を保管するマジキチではなかったようなので、心底ホっとしました。

結局、送られてきた荷物は和菓子でした。
包装紙には「栗山」と書かれた和菓子だったのデス。

何と言う神プレイ!
世の中の全ての栗山をボクの手中に収めたくなった瞬間デス。
今日は絶対に良い1日だと確信しましたね。

もっとも、さっきデスブログと評判の東原亜希ブログを読んだら「iPhoneを買った」という旨の記述が…。
頼むから、一般の女性らしくおとなしくガラケー使っててよ…。

そんな風に一気に絶望的な気分に追い込まれたiPhoneユーザーの二酸化硫黄デス、こんばんわ。


さて今日デスね、ふと思ったことがあるんデスよ。

いわゆる「風が吹けば桶屋が儲かる」ってあるじゃないデスか。
バタフライ効果みたく、思わぬところに結果が生じるっていう諺デスよね。

でも、何でラストを「桶屋が儲かる」に設定したんでしょうか?
桶屋は原因となりえないんでしょうか?
普通に考えれば、桶屋が儲かったら次にも何かが起きると思うんデスよね、ボクは。

だから桶屋が儲かったらどうなるのか?
その先を考えてみたいな、って思います。

ちょっと想像してみてください。
皆さんは江戸の町で桶屋を営んでいる桶屋善右衛門デス。

ここ数日、何故だか分からないけれどネズミが桶を齧りまくったおかげか、善右衛門の桶屋はちょっとした好景気に沸いていました。

別に商売が上手くて桶屋が繁盛し始めたってワケではありません。
何だかよく分からないけれど、あぶく銭がガブガブ懐に入り始めたのデス。

努力の結果として得たお金でなく、ほとんど博打で勝ったのと同じのあぶく銭。
こういったあぶく銭で蔵が建つなんてことはありません。

当然、善右衛門はガッポリ儲けたあぶく銭を懐に遊郭へダッシュ!
もちろん、狙うは吉原の中でもトップクラスの花魁・夕霧太夫デス。

成金である善右衛門は茶屋に着くや否や言い放ちました。
「マンコ見せろ」

哀れ善右衛門は夕霧太夫の在籍していた茶屋どころか吉原そのものから出禁となりました。

花魁クラスとセックスするには三顧の礼ばりに、初めて会いに行く「初会」の後、再び店を訪れる「裏を返す」を経て、三回目に訪れて「馴染み」となるというプロセスが必要でした。

ちなみにボクは学生時代、『江戸の遊女とヴェネチアの娼婦』というレポートを書きAを貰っているので、この分野に関してはちょっと自信があります。
当時の避妊法や堕胎法とか色々調べたもんデス。

それはともかく、当時の花魁は客より格が上だったのデス。
何せ花魁が上座に座り客が下座に座ってたくらいデスもん。

とはいえ、合羽坂で桶屋を営んでいる善右衛門がそんなこと知りませんでした。

だから善右衛門は、いつも買っている夜鷹を買う時と同じフランクさで夕霧太夫と接してしまったのデス。

あぶく銭を抱えたばかりに大恥を掻いた善右衛門。
でも、懐にはまだまだ大金が残っています。

怒りとリビドーを発散するべく、内藤新宿に繰り出し飯盛女達を買い捲りました。
それはもう、毎日毎日、色々な女を抱きまくったのデス。
というより、1日に3人の飯盛女を買いました。

ちなみに飯盛女っていうのは旅籠の仲居さんのことデス。
飯を盛るついでに、盛った客の性欲を鎮めるって仕事もしたたワケです。
もちろん、別料金デスけどね。

さてさて、三顧の礼的プロセスが必要な花魁と違い、旅籠に来た客となら誰でもセックス可能な飯盛女。

善右衛門が抱きまくったのが後者達だったことが、運の尽きでした。
病気デス。
善右衛門は梅毒にかかってしまいました。

花魁を抱くのに多額の金と数度に渡る面接が必要だった理由の1つとして、客が病気持ちかどうかの吟味というのもありました。
だから、比較的安全だったワケです。
もちろん「比較的」デスけどね。

それに対して博愛主義をモットーとする飯盛女は、花魁と比べると病気を抱えていることが多かったようデス。

結果として、善右衛門は梅毒に罹患し鼻が落ちるという事態に。

「風が吹けば鼻が落ちる」
このような諺であれば、ボクも「結果」だなと納得できます。

みなさんも安易にゴールを設定することなく、より先を目指して頑張りましょうね^^
posted by 二酸化硫黄 at 00:05| Comment(5) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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