硫黄地獄

2009年08月30日

捌け口

今ボクの手元に、コンビニで買ってきたエロ本があります。
エロ本が欲しい、そう思ったら24時間いつでも購入することができます。

しかも写真が欲しい、マンガが良い、といった様々なニーズに答えることが可能となっています。

少しハードコアな趣味を持っている場合はネットさえあれば、話はカンタンです。
むしろネットの方が、より多様で深いエロの入手が可能デスよね。

実に良い時代となったものデス。
ボクなんか、もはやネット無しの生活は考えられないデスしね。

だから今のボクには、エロ本が存在しなかった時代の青少年は、どのようにして性を発散していたのかが気になって仕方ありません。

そこで、今回はその辺りを考えてみたいと思います。

パっと思いつくのは春画デスよね。
現代のボク達は「芸術」として捉えている春画は、ちゃんとエロ本として機能してたんデス。

「よくアレで抜けたな…」と思わないでもありませんが、有名な「蛸と海女」みたいに、絵そのものよりもシチュエーションとか妄想面がメインで春画はイメージを補うことが目的だったようにも思えます。

しかし、コレは本当にエロいデスよね。
マジ勃起します、正直に言って。
マジで北斎は天才だと思います。

大蛸が海女をクンニしてるんデス。
いやぁ、マジエロいデス。

コレは現代で言うところの、触手モノだといえます。
何だかんだで、日本人は昔から非現実的なエロをイメージの世界の中で構築してオナニーしてきたってことだと思います。

今は芸術とされている春画は、みなさんご存知の通りにエログラビアだったワケです。

春画だけじゃなくって、西洋の裸婦画なんかも完全にポルノだと思います。
例えば「裸のマハ」。
もう完璧にエロです。

こういった裸婦画を美術館で鑑賞したら、ボク達がパンチラの残像が消えない内にオナニーするかのようにオナニーしていたんだと思います。

裸婦画を自宅に飾ることができる貴族だけが、落ち着いたオナニーをできたんだと思います。

現代のBUKKAKE愛好家と同様に、裸婦画に対してBUKKAKEることが大好きという性癖を持った貴族もいたことでしょう。

そのBUKKAKE行為の犠牲になった芸術的な筆致によって描かれた作品の中には、現存するどの裸婦画よりも美しいモノが存在していた可能性もあります。

むしろ、BUKKAKEするに値しない駄作のみが現代の美術館に展示されている、そう考えることも可能だと思います。

春画と裸婦画、他にもオカズ的なサムシングは存在していたとボクは思います。

勘デスけど、仏像はダッチワイフだったんじゃないでしょうか?

前々から疑問だったんデスよ。
明王像や十二神将みたいな仏法の守護神的な仏像を除くと、実に多くの仏像が女性的な造形をしています。

先日まで巷の仏像ブームを牽引していた阿修羅像も中性的な造形をしています。
本来の阿修羅は、より荒々しい男性的な仏デス。

これは現代でいえば、原作のラノベを改悪してありとあらゆる登場人物を萌えキャラとしてしまったようなものデスよ。

何故に、仏像を女性的に彫る必要があったのか?

これはもう、間違いなく性的欲求の捌け口として女性的である必要があったワケだと思います。

お寺って、「酒を飲みたい! でも戒律で禁止されてる! だったら、お湯って言い張れば良いじゃん! 般若湯うめぇぇww」みたいな発想を持ってる組織デスし。

江戸時代の大きめの寺院前には、参拝客向けの夜鷹だけでなく男娼も立ちんぼしていました。

女犯が禁止されているなら、男を抱けば良いじゃない。
酒を湯と言い張るのと同様の発想デスよね。

しかし、全てのお坊さんがオナニーと同じ頻度で男娼を購入するのは、ちょっと金銭的に厳しいと思います。

だからこそ、女性的な仏像という需要があったのデス。

ボク達が仏像から神々しさを感じるのは、かつて汚され陵辱された過去を持ちながらも、それを許し衆生を救いたいという自我を持っているからデス。

ちなみに、自我の材料は生臭坊主の精子と情念デス。

要するに仏像から感じる厳粛さは、ラスコーリニコフを許した聖女ソーニャから感じる美しさと同じ性質のモノだってことだと思うんデス。

ごくごく個人的な意見デスけど、清純なだけのつまらない女性よりもビッチだけど情(と業)の深い女性の方に魅力を感じます。
posted by 二酸化硫黄 at 22:17| Comment(7) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年08月29日

人の形

お台場までガンダムを見てきました。

あれだけ、ちゃんとしたガンダムを作ってしまうと捨てる時はどうするんだろう、って不安になってしまいます。

ボクは結構、オカルト的なことを気にするタチなので怖いんデスよ、人の形をしたモノって。

普通の人形だって、お寺だか神社に供養に出すワケですよね?
それを、おそらくは何万という人が見に来たようなガンダムといえば、物凄い情念がこめられちゃってるんじゃないでしょうか。

ボクが空気で膨らむタイプのお嫁さん等をお迎えしない理由は、コレです。
ダッチ的なサムシングって、ただ人の形をしているだけじゃなくって、生命の素である精子を徹底的にBUKAKKEまくられるワケですよね?

生命の素は十分、そして強烈なリビドーを浴び続けるワケです。

こんなもん、自我が芽生えないワケがありません。

自我が芽生えたとしても、最悪しっかりと人の形をしてるんなら、その事実を受け入れることができると思うデスよ。

例えば、オリエント工業くらいの「人の形」だったなら、自我を持つラブドールとの少し不思議な日々を送ることができると思います。

ただデスね、オリエント工業は高いデス。
とりあえず、70万くらいデスね。

性的な発散先を求めて70万を用意するんなら、もっと別の使い道を模索したいところデス。

つまり、もしボクが購入するなら造形的にシュールなお嫁さんになる可能性が高いワケです。

こんな感じのヤツですね。

どうですか?
こんなんが喋りまくったりと、自我を持っちゃうワケですよ?
ちょっと怖くて、ボク的には無理デス。

とはいえ、商品として販売されているワケですから、相当数のエアーワイフが出回ってるハズで、その4割は自我が芽生えていると推察されます。

もしかして、自我が芽生えるからこそ良いのでしょうか?

確かに、そうなのかもしれません。
たとえ、どんな容姿であったとしても、ボクが愛を注いだ相手が自我を持ってくれるのは嬉しいことなのかもしれませんね。

今思い出しましたが、ボクもオナホにはヒサ子という名前を付けていましたし。

ヒサ子を燃えないゴミの日に出したのは、死体遺棄だったのでしょうか?
ゴメンね、ヒサ子。
posted by 二酸化硫黄 at 23:54| Comment(6) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

双子

マンガ等に頻出する一卵性双生児デスが、ボクは未だに見たことがありません。

もちろん知らず知らずの内に擦れ違ったりはしているのでしょうか、少なくとも知り合いの中にはいなかったと思います。

中二病的な発想とは関係なく、双子って興味深い存在だと思います。
だって、クローンがタブー視されている現代において、全く同一の遺伝子を持っているというのは、とても貴重なサンプルだと言えるでしょう。

東京大学教育学部付属中等教育学校にモルモットとしての双子枠があるのも頷ける話デスね。

しかし、実際にはどんな実験をしてるんでしょうね?
法治国家たる日本で、マッドなサイエンティストがリビドーの赴くままに解剖するなんてことはないでしょうし。

では一体どのような実験が行われているのでしょうか?
その辺りを、ちょっと推察してみたいと思います。

結論から言うと、教育学的・心理学的な実験を行っているケースが多いんじゃないでしょうか?

教育機関デスから、教育学の研究は盛んでしょうし心理学であれば同一の遺伝子を持ってる存在というのは対照実験にピッタリですもんね。

何よりも殺さなくて良いってのがベネです。
法的とか倫理的にOKってのがグッドだと思います。

てなワケで、この2つに絞って考察していきます。

全く同一の遺伝子を持ち、しかも生まれ育った環境も同一の2人。

こんなサンプルを手に入れたら、やってみたいことは1つデスよね。
全く別の環境にブチ込んでみたくて仕方が無いデス。

少し言い方を変えると、同一の遺伝子を持ち生まれ育った環境も同じ2人を別の人間にしてみたい、そう思うのは仕方ないと思うワケでして。

まずは男の子編。
これはデスね、バイブ的なハードウェアに対する認識を変えてみたいデス。

AV等々を見ていていつも思うことが1つあるんデス。
あんなゴン太なバイブを女性の下腹部にある娯楽室へ事前にブチ込んでしまったら、その後に自らの暗褐色の肉鉾をインサートするのを躊躇ったりしないんでしょうか?

もちろん自らの業物に絶対の自信を持っているダンディズムを体現した男性であれば、そのような心配は必要無いのかもしれません。

ただ、いかんせんボクのちんこは、良くて人並でしかありません。
だからこそ、ボクはバイブというモノに対して強い恐怖心を持っています。

そんな恐怖心を双子の片方に対して植えつけて欲しいんデスよ。
そして、もう一方に対してはバイブに対するATフィールドを持たせないようにします。

これによって、この双子は同じサイズのちんこを持っているのに、バイブに対する感じ方が全く違うという異常事態が発生するワケです。

この2人を観察してくことで、どうすれば人はバイブに対する恐怖心を無くすことが可能かを明らかにすることができると、ボクは確信しています。

この実験によって、日本に少なくとも1000万人はいるであろう、「バイブがボクのちんこより大きかったらどうしよう…。というか、ボクは早漏だし…。もしボクのハニバニが、ボクのちんこよりバイブが好きになったらどうしよう」症候群の罹患者を救うことが可能となります。

こんなメデタイことは無いと思います。


続きまして女の子編。

もう、こんなの1つしか無いでしょう。
1人はミストレスに。
1人はスレイブに。

同じ容姿を持つ女王様と雌奴隷。
これでちんこ勃たないとか、そんな変わり者がいるでしょうか?

あっ言い忘れましたが、この双子はもちろん美少女デスよ。
だから、安心して勃起させてくださいね^^
posted by 二酸化硫黄 at 01:23| Comment(4) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年08月28日

本当に好きな物

元々ボクは、それほど焼肉が好きだったワケではありませんが、ここ数年は焼肉が好き過ぎて死んでしまう体になってしまいました。

今では、週に1回は「東京焼肉ものがたり」というサイトを見て2828してしまうくらいの焼肉ジャンキーデス。

ただ、焼肉って結局のところは素材勝負の料理なんデスよね。
めちゃくちゃ美味い肉なら、味付けは適当でも十分なワケで。

これはちょっと悲しいことデスよね、やっぱり。
ボクは「人の心」が好きなんデス。
料理に対して込められた想い、ってヤツですね。

マンガ等に頻出する、「憎からず思っている女子」が作ってくれたモノであればコゲていようと塩と砂糖を間違えていようと、美味しく食べてる(フリをする)ことができてしまう、ってのは、正に人の想い食べているからこそデス。

つまり強い想いさえ込められていれば何を食べたって美味しいんデスよ。
逆に言うと、強い想いを食べることが難しいからこそ、素材の力だけで勝負できる(美味しい)焼肉が好きになったんだと思います。

だから、本当のことを言うと一番の好物は焼肉ではありません。
ボクの本当の好物は、まだ食べたことの無い何かだってことデス。

そうデスね、今パっと思いついたモノを書いておきます。


あれはまだ残暑の残るに日曜日の夕方のことだったかな、そろそろ晩飯の準備をしなくっちゃ、ボクはそう考えていた。

結果から言うとば、晩飯の準備は必要なかった。

その理由を今から話そうと思う。

さて、食材でも買いに行くかな、と腰を浮かせかけた矢先のことだった。

バッギャオォンッ!

突然、轟音が鳴り響いた。

PCの前から立ち上がろうと不安定な姿勢だったせいもあって、ボクは無様に尻餅をついてしまった。

それでも、何が起きたのか確認しようと、音の発生源である背後を見るべく視線を動かした。

そこには栗山千明がいたんだ。

本当に嬉しかった。
正直、かなり舞い上がっていたと思う。
嬉しさと驚きで心がいっぱいになってしまって、栗山千明が牛刀を持っていたことなんて気にもならなかったくらいだから。

さっきの轟音は栗山千明という存在にボクの家の扉が耐え切れなかった音だった。
カンタンに言えば栗山千明が扉を蹴破った音ってことだ。

嬉しさと驚きでポカンって顔をしていたボクに、
「ちょっと料理をしたくなっちゃったんだけど、食べてくれる?」
栗山千明は、そう言ってくれた。

そんなお願いを断る人間がいるだろうか?いやいない。
ボクはもちろん、是非にとお願いした。

話を聞くと、どうも栗山千明はソーセージを作りたくなったそうだ。

というワケでボクは栗山千明の手作りソーセージを振舞ってもらった。

「じゃあ今から始めるね」
栗山千明はそう言うと、手に持った牛刀を振り下ろした。

ヒュンという音がしたかと思ったら、次はベロンって音が聞こえた。

そう、もう分かるよね。
ボクの腸がこぼれ出した音だった。

「ハイ完成。しっかり味わってね」
栗山千明はそう言うと、ボクの腸を鷲掴みにしボクの口にネジ込んだ。

「フフフ、機材が足りなくって生でゴメンね。本当は燻製にした方が良いんだろうけど。ところで、お味はどう? 自分のウンコ100%のソーセージの味は?」

「っひぃ、おいひい、おいひいです」
その時のボクには、そう答えるのが精一杯だった。


こんなところでしょうか?
他にも、もっと美味しい物があるんなら、死ぬ前に1度は食べてみたいな、そう思います。
posted by 二酸化硫黄 at 01:19| Comment(4) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年08月26日

オノマトペ

セックスに到るプロセスは、性欲を感じるというのが重要なセオリー。
じゃあ、ホワイ性欲を感じる?

白い半円形の頂きに咲く桜の花を見たから性欲を感じる。
妖しく輝く大きな桃のような白い双臀を見たから性欲を感じる。

こういった視覚的イメージは、強く性欲を喚起するものデス。
しかし視覚に限りません。
ボク達ワタシ達は五感をフルに活用し、ありとあらゆる要素から性欲を感じています。

思い出してください。
高校時代の夏。
体育の授業の後。
制汗スプレーと汗が混ざった匂い。
体育の後なのに汗臭いワケでなく、一種独特の世界を作り出すほどのインパクトを持つ「思い出の中のjk香」。
まあ、常識的に考えればノスタルジックな想いと共にちんこ勃ちます。

嗅覚だけでなく触覚に聴覚・味覚、その全てがリビドーからの使者としてボク達の心を性の奴隷としてしまうのデス。

もっとも味覚や触覚を感じるシチュエーションとか、マジで挿入する5秒前だとは思いますが。

それだけでなく、五感からの刺激を受けた脳が、そこに妄想という名のスパイスを振り掛けることで、性欲は飛躍的に上昇していきます。

さて、ふと思ったのデスが、視覚や聴覚に嗅覚だけで獣の本能に火がつくワケですから、2つの感覚を同時に刺激し、その刺激に想像力という人の持つ最大の武器をぶつけることで、勃起して道も歩けないくらいにリビドーが溢れ出すのではないでしょうか?

これを体現しているのがフランス書院を始めとする官能小説だと思います。いわゆるエロ小説デス。

エロ小説の粗筋って、要するに「ちんこをマンコに入れた。女はイった。男も射精した。」だけデスよね?

それに対して、ふんだんに味付けをすることで勃起を促しているワケです。
視覚で文字を追い、それを再生し聴覚や嗅覚に触覚、味覚を刺激。
さらに自ら想像力を駆使しなくても作家があらかじめ色々と妄想しておいてくれるという、至れり尽くせりなサービスの数々。

官能小説こそが、ゴッド・オブ・エロと言っても過言ではないでしょう。

オノマトペだけを抜き出しても、いかに官能小説が秀でているから分かります。

「くるりん、ちろちろ」
これは何のオノマトペだと思いますか?
もちろん、舌で乳首を転がした時の音デス。

「ニュククヌーッ!」
これは何のオノマトペだと思いますか?
もちろん、処女膜にちんこをブチ込む時の音デス。

これぞ、まさに声に出して読みたい日本語。
人間の創造性の極致と言っても過言ではありません。

マンコちんこと呟くより1万倍は、「俺が勃起する時は“ボッキン!”って音が鳴るんだぜ?」とか言ってみたいデス。

どうやら、お薬の時間みたいデス。
それでは皆さん、また明日。
posted by 二酸化硫黄 at 23:16| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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