硫黄地獄

2011年04月16日

ロリとゲイとフェラチオと地震と

世の中にあるモラルの大半って、頭をヒネって考え出したモノっていうより本能に依存したモノだと思うんデスね。

例えば「人を殺すべからず」なんか、その典型かなって。
これは「自分が生きたい、生き残りたい」っていう本能的欲求から来てると思うんデスよ。
人を殺してOKにしちゃうと自分が殺されちゃうかもしれませんよね?

「ロリっ子に手を出すとかちょっと^^^;;;」なんかもそうかなと。
これは、セックス=子供を作る行為だってのが大きいんじゃないかなって個人的には考えています。
あんまりにも相手が子供過ぎると、出産が困難だったりするんじゃないかなって。

これを突き詰めると、逆にロリはギリでセーフって考え方も出来るワケで。
だって妊娠そのものは可能デスもんね。
でもペドは圧倒的にアウトだと言えます。
だって妊娠出来ないんデスもの。
実際にヤバ度では、ペド>ロリって感じだと思うんデスよね。

お次は「にょわー男にキスされた>< 括約筋を拡張させようとしないで><」的な道徳観。
これはロリ・ペドあたりと同様のパターンかなって思うのデス。
もうシンプルに、子供できねーじゃんっていう。
でもでも、これはロリ・ペドと比べると「うーん個人の自由じゃね?」的風潮があるのも事実。

何故なぜWhy?
これまたシンプル。
上記の「人を殺しちゃメッ!」も適用させれば解決しちゃうんデスよ。
ロリっ子が子供を産んじゃったりする場合は、リアルな話すると母体へのダメージとかありそうっスよね。
子供の発育はどうなんだろ?
お母さんビッチが育ちきった状態と比べると微妙なんじゃねーかなってイメージはあるんデスが、これはちょっと自信なかったり。
そもそも流産とか中絶なんていう、ボクのアホアホブログに似合わないヘビーな事態もありえるワケで。

それを考えれば、ゲイ的サムシングなんて超健全かなって気がしてきませんか?
だって子供が産まれないだけなワケですよ、問題なのは。
もうオナニーと一緒じゃん、これ。

そう考えると、アナル的ホールにmyディックをインサートするくらいは全然イケるんじゃないかなって気がしてきちゃいませんか?
ボクはぶっちゃけ、それは平気だと思ってます。

でもボクは決してゲイじゃないワケで。
何でかって言うと、百歩譲ってインサートされるのはOKだとしても、キスしたり乳首を甘噛みしたり首筋を舌でツツってしたりとかはちょっと厳しいんじゃねって思うワケですよ。

この辺のオーラル的行為は女子に対しては超したいワケですが、XY染色体を持つところの男子相手に行うのはマジ勘弁なワケですよ。

この辺りは本能と関係してこない部分だと思うんデスよね。
キスすると口内細菌の交換になるから云々カンヌンって話だと、別に性別は関係無いワケで。

何でボクら男子が同性に対する粘膜接触及び体液交換に嫌悪感を抱くのかっていうと、もう完全に文化的に「ゲイはNG」と刷り込まれたからだとしかボクには思えないんデスよ。

だって、別に男とセックスしてダメな理由ってのは瞬間的には無いワケですもん。
もちろん上記の理由で将来的に子孫が産まれなくなるからアウトってのはあるけど、それだとオナニーも禁止しないとダメなワケですしね。

でもちびっ子の頃から「ホモはあかんで」と刷り込まれ続けた結果、ボクはゲイって行為・存在に対して一歩引いた視線を送ってしまうのデス。

そう考えると、古代ギリシアにおける「男女の愛は動物的で下等。男性同士の愛こそ上等なモノ。」って倫理観も頷けちゃったりしませんか?

もちろん古代ギリシアにおいて、ホモはNGではなかったからこそだとは思うのデスが、遺伝子を残したいって欲求から逃れられずに男女間のセックスを行うだけでなく、子孫を残せないにも関わらず同性間のセックスを行うってのは、純粋に文化的行いだって考えることも出来るのかなって。

つまり、実に大脳新皮質的行為だなーって思うワケです、ゲイな方々のセックスってヤツは。
そんなワケで、なんちゃってスノッブなボクとしては少し羨ましいなって思っちゃったりワケで。

でもゲイはやだ!
だけど文化的性の営み好きになりたい!

そんな葛藤の末、ボクはブロウジョブ研究家となったワケでありました。
性器を使用したコミュニケーションより、口腔を使用した行為の方が文化的→人間的なんじゃないのかしらんってワケです。

と、こんな感じでボクはいわゆるフェラチオ的な行為に並々ならぬ興味を抱いてきたワケなのデスが、昨今の地震の影響でセックス的な行為そのものも結構大事じゃねって思うようになってきました。

多分デスけどね、地震で「死」ってヤツを強く意識したんだと思うのデス。
だから子孫を残したいっていう本能が強く揺さぶられたんじゃないかなっていう自己分析。

性癖って案外、ちょっとしたことで変わるモノなんデスね。
てことは、ゲイになる日も近いんじゃ/(^o^)\

恐ろしい結論に至ってしまった訴訟。
posted by 二酸化硫黄 at 18:23| Comment(20) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年10月02日

日本語の多様性

青いリンゴ
紅い宝石
紅い実
紅い色の苺
小豆
苺のような固まり
淡紅色の野苺
疼きたつ苺
熟れに熟れた巨大な果実
熟れる直前に茱萸
円錐
大粒のサクランボ
押しボタン
乙女のシンボル






この文字群、何だと思いますか?
「官能小説用語表現辞典」の【乳首・乳房】に収録されている単語デス。

言われれば、「あーなるほろー」ってな感じデスよね?
青いリンゴは若干イミフですが。

でも、まぁ言われれば分かる。
これが日本語の特徴だと思うんデスよ。

つまり曖昧だってのが特徴かな、と。
とか言いつつも「This is a pen.」というフレーズから、「ペンって、長いものだよね。フロイト的に言えば長い=男根。つまり、ほーらオジサンのおちんちん見てごらん?的な意味なんだろうね」と想像を膨らませることは可能なんデス。

つまり日本語が多様なワケじゃなくって、日本語を使用しているボク達の頭が残念ってだけなんじゃないでしょうか?
別にアメ公にだって、合理的発想の出来ない残念な人はいっぱいいると思うんデスよね。

男のリキッドを注ぎ込まれた鮮紅色の肉扉を「クリームパイ」と表現しちゃってるワケですし、そのあたりは一緒なんじゃないでしょうか?

つまり、身びいきはダメ。
自分の使ってる言語だから、何となく多様性のある優れたg年後だと思いがちですが、他の言語と同じなんデスよ、きっと。

使ってる人間が残念。
これが全て。

ボクは強く生きて行きたいデス。
posted by 二酸化硫黄 at 01:45| Comment(3) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年09月09日

ラノベの定義

今回はっスね、ちょい真面目に更新。
いつもみたいなちんこちんこブログじゃないんで、そのあたりご了承を。

今回の更新は、「ツイッターの“東浩紀のテストでカンニングしてやったZE☆”ってツイートを、恐らくは毎日のように自分の名前で検索をかけていたから発見してしまった東浩紀」が『ゲーム的リアリズムの誕生』で論じているラノベに関する部分に対する、イチャモンというかボクなりの考えだったりします。
こういうこと書くのって初めてだから、ぶっちゃけ恥ずかしいデス><

東浩紀が『ゲーム的リアリズムの誕生』でラノベに関して論じている部分を、ちょっと乱暴にまとめておきます。
ぶっちゃけ主観やボクなりの解釈も混じってるので、あんまり信用しないでくださいね。

「いわゆる文芸的な小説はドラマの結論から人物が規定され、ラノベ的な小説はキャラクターの性質がドラマより優先される。」
超々乱暴ではあるっスけど、これが根幹かなと。
つまり、ラノベはストーリーを伝える媒体じゃなくてキャラクターを伝える媒体だってことデスね。

そんでもって、キャラクターが効率よく読者へと伝わるのは、作者と読者との間に「キャラクターのデータベース」が存在しているからだと東浩紀は主張しています。
この部分では、ハルヒが引用されています。
長門の登場シーンで「いわゆる神秘的な無表情系」だとキョンに言わせることで、読者は「あー、おkおk。どんなキャラなのか大体把握したわ」と分かってしまえる。
これが作者と読者との「データベースの共有」ってことデス。

そんなワケで、ストーリー由来の人物ではなくデータベース由来のキャラクターであるワケだから、別のストーリーに放り込まれても、しっかり活躍できちゃうワケです。
いわゆるスピンアウトってヤツですね。
『キノの旅』と『学園キノ』、『とある魔術の禁書目録』と『とある科学の電磁砲』。
この辺りなんかは、正にそのものって感じデスね。
もっと言えば、ハルヒなんかは『涼宮ハルヒの〜』という1つのシリーズの中でSFからミステリー、文芸部に野球部、生徒会との絡みまでやっちゃってるワケです。

と、そんなワケでラノベとは「キャラクター小説」だってのが、東浩紀の新城カズマや大塚英志を引用した上での結論って感じデス。
東浩紀は、これをベースにして色んな議論を進めていってるワケです。

ワケなんデスが、そのベースの部分であるところの「ラノベの定義」に関して、色々とゴニョゴニョ言いたいってのが今回の更新なワケです。
ようやく前置きが終わりましたw
これ、動画でやったら最悪のパターンですね。
さっさと本編に入れよっていうw

というワケで早速。
そもそも、「本当にキャラクター由来の小説ってのがラノベの定義となりうるん?」ってのが疑問なんスよね。

個人的な印象なんスけど、いわゆる文芸的な小説にだって「特徴的なキャラクターを配置して、そのキャラクターがどう動くかを描写した小説」ってのは、いくらでもあると思うんスよね。
逆に言えば、ラノベにだって「伝えたいメッセージ」を中心に据えた作品だってあるでしょうし。
どちらにウェイトを乗せているかの差は当然あるでしょうが、小説である以上は「メッセージ」と「キャラクター」ってのは、いわゆる車輪とシャフトの関係だと思うんスよね。

たとえば『罪と罰』。
ボクに言わせれば、完全なキャラクター小説なワケですよ。

主人公のラスコーリニコフは、孤独で傲慢な美青年。
貧乏が原因で、ちょいパラノイア気味。
イニシャルの「P.P.P」を上下引っくり返すと666。

完全に厨二デス。

ヒロインのソーニャは処女厨発狂な娼婦なワケですが、家族のために春をひさぐ信心深い高潔な少女デス。
ハルヒ風に表現をするなら、「いわゆるマグダラのマリア系ってヤツ」と表現できちゃうくらいステレオタイプなキャラクターだと言えませんか?

と、こんな感じで「データベース由来のキャラクターが活躍する『罪と罰』はライトノベルだったのデス(キリッ」と言えちゃうんじゃないでしょうか?
まぁ、個人的には『罪と罰』は本当にラノベ的だとは思いますけどねw
名前が覚えにくいってのが厳しいですけど、ストーリーは比較的単純明快で面白いデスし。
「ロシア文学とか重たそうでマジ勘弁www」的な偏見は捨てて読んでみるのをオススメします。

人名だって、ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエールと比べれば覚えやすいと思いますしw

お次はデータベースについて。
東浩紀は、データベースをラノベに特有な事象だと言っていますが(これはボクの思い込みかもしれませんw)、キャラクターというか人物のデータベース化はごくごく普遍的な物なんじゃないかと、ボクは思うんデスよね。
東浩紀は、ライトノベルを読む際に違和感とか戸惑を感じるとしたらば、「このデータベースを共有していない」ということが原因だと言っています。

でも、それって普通のことだと思うんデスよ。
上で例に出した『罪と罰』だって、娼婦だけど信心深い人物=マグダラのマリアっていう「データベース」を共有できてないと、ソーニャの人物像を把握するのは難しいんじゃないでしょうか?

作者が意図することを把握するってのは、それなりに教養が必要だと思うんデスよね、やっぱり。
『源氏物語』を深く理解するには、平安貴族の風俗を知っている必要がある。
『アイヴァンホー』を深く理解するには、イングランド貴族の風俗や第三次十字軍の背景を知っている必要がある。
等々。

この「教養」ってのは「データベース」と言い換えれちゃうと思うんデス。
ボクらが、上に挙げたような古典を読むには「教養」が必要になっちゃってるワケですが、当時の読者達にとって常識だったんじゃないでしょうか?
少なくとも、本を読めるような知識人にとっては常識だったハズ。
つまり、それらは「データベース」として作者と読者との間に共有されてたんだと思います。

逆に言えば、何らかの「データベースの共有」無しには物語の伝達なんて不可能だとすら、ボクは思ってます。
だから、ラノベのデータベースを共有していない人がラノベを読むことが困難なように、純文学のデータベースを共有していないと純文学を読んでも完全にイミフってなっちゃうワケです。

ラノベのデータベース。
純文学のデータベース。
ミステリのデータベース。
SFのデータベース。
歴史小説のデータベース。

そういった物は絶対に存在すると思うんデスよね。
それは教養的な物もあれば、お約束的なジャーゴンまで様々っス。

ツイッター的にいえば、クラスタですねw
自分が所属しているクラスタの話題なら何となく理解できちゃうけど、他クラスタの話題ってなるとイマイチ理解しにくいって感じと思っていただけると理解しやすいんじゃないっスかね?

と、こんな感じが、ボクの「東浩紀のラノベに対する定義」へのイチャモンでした。

ちなみに、ボクにとって「本を読む」ってのは、自分の中のデータベースを増やす作業デス。
簡単に言えば、多くのクラスタに所属することが物事を多角的に捉える契機になるんじゃないかなって、ボクは考えながら本を読んでるって感じデス。
逆に、既に所属しているクラスタの本を読む時は、お決まり・お約束なぬるま湯に浸って、一安心って感じかなとw

しかし、今回の更新はマジで真面目一辺倒デスね。
真面目な方が恥ずかしいデス、マジでw

あー、ちんこちんこ。
次の更新はちゃんと、東浩紀が「オタク」から現在を語るように、「ちんこ的ワード」から現在を語れるようにしますん。
ではでは。
posted by 二酸化硫黄 at 21:31| Comment(4) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年08月23日

ファッキンジーザス

タイトル特に意味ねっス。
何かキャッチーかつアレなタイトルをつけとけば目に付くんじゃね的なアレですね。

最近、思うんデスよ。
ひょっとして僕ってモテたいんじゃないかなって。

セックスしたいとかに限らず、老若男女問わず何かしらモテたいんスよ、きっと。
いや、セックスしたいデスけどね。

ブログとか始めたのは、1日に1000アクセスでチヤホヤされるαブロガー様になりたかったからだし、動画を上げたのも「そっちの方が“人に見られる確率”が上がるんじゃね」的な発想だったからなんスよね、多分。

最近、ツイッタばかりやってるのも手っ取り早くキャッハウフフできるってことが大きいからかなと。

ブログの方が自由に言いたいことを言えるけど、まぁぶっちゃけ見ないデスよねw
逆にツイッタだと短い(140文字)けど、一方的に自分の妄言を900人くらいに垂れ流せるってのが美味しいんスよね。

てなワケでブログじゃなくってツイッタでニャンニャンしてたんデスけど、あっちだと言いたいことをイマイチ言えないんスよね。

一方的に垂れ流せるってのはメリットなんスけど、流石に「早くフェラチオしてくれよ、この簡易オナホども!」とか言うのは躊躇しちゃうワケで。

これは何が問題かというと、ブログを見に来てくれる人は「女子=簡易オナホ」というテーゼに同意しがちな傾向にある人が多く、ツイッターを見てくれてる人は同意するのに躊躇しがちな傾向にあるんじゃないかなと思うのデス。

そう、「躊躇」なのデス。
男子たるもの、可能なら簡易オナホ的なフランク感を持ってセックスしたいと思わないハズが無いのではないでしょうか?

そこのアナタ、自分に嘘をつかないでください。
一度たりとも、「あーセックスしてー」と思わなかったことが無いと言えますか?
ぶっちゃけ無いっスよ?

つまり、男子としては簡易オナホな女子とかマジ貴重なワケですよ。
オナホってことは、他人との共用も無いワケで独占欲や所有欲とかも満たせますしね。

そんなワケで誰もが思うハズの「女子=簡易オナホ」というテーゼなのデスが、ツイッタで垂れ流すのは躊躇してしまうワケです。

それは何故か?
まぁ、うっかりさんな女子がうっかりボクのことをフォローしちゃったからなんデスよね。

そういう女子も見てるかと思うと、「躊躇」してしまうワケなんで。
でも冷静に考えると、ボクなんかをフォローしちゃったんなら「いや、まぁ仕方ないっしょ……」と思わんでもないっスよね。

うん、そうだそうだ。
ボクをフォローした方が悪い!
もっと、マンコマンコってツイートするよ!

まあ、女子=簡易オナホってのは既にツイート済なんデスけどね^q^
posted by 二酸化硫黄 at 00:36| Comment(5) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年07月14日

過去の思い出との向き合い方

Fuck!
Punk!
Rock!

さてさて、これって何のことだと思いますか?
正解は、「僕が中学時代に好きだったフレーズ」デス!

ひゃー恥ずかしい☆
正直、ドン引きですNE!

と、こんな感じで、誰だって「この世からブチ消してやりたい」てな思いを抱かざるを得ない過去とか持っているハズですよね。

しかし、何でまたボク達は中学生の頃とかに恥ずかしい行動をしてしまうんでしょうね?
だって、どんなにカッコいい人・洗練された人でも、若い(幼い)頃には「あらら残念ですね、それは^^^^^」みたいな行動をしてると思うんデスよね。

チンコも筋トレすればデカくなるんじゃないかな?
そんな過去を絶対に持ってると思うんデス。

となると、過去のイタい経験・思い出って、消せるなら消したい過去ってワケではなく、現在に繋がる糧になってると考えることが出来るんじゃないでしょうか?
いやいや、今回はガチ真面目デスね^^

まぁオナニーの繰り返しが、セックスの予行演習になる的な?
そんな感じデスよ、きっと。

とか言っておくといつものボクっぽいかな、てへぺろ(・ω<)

というかデスね、このブログを作ってることだって、10年もしたら「ギョエー」てなること請け合いなワケで。

いや、分かってるんデスよ。
絶対に将来、アイタタタって思うんだってことくらいは。
しかも、こんなブログの更新が何かの糧になるワケ無いんスよね、ぶっちゃけ。

つまり、上述の現在に繋がる糧云々とか、100%嘘っパチなワケで。
だって、「邪気眼云々って言ってたおかげでゴールドマン・サックスに入社出来たし、マニー稼ぎまくりになれたからセレビッチにセレブ棒を挿入することに成功しました!」とか、ありえませんよね?

そんなワケで過去のイタい体験なんか、ただただひたすらイタいだけデス。
残念ながら、残念ながら何の意味も無いってのが現実だと言わざるをえません。

これは地獄デスよ?
逃げても逃げても、ひたすら追いかけてくる「イタい過去」

何が起きても、決して逃げることが出来ないんデスよ。
マジ恐怖と言わざるをえません。

では、どうすれば「その恐怖」から逃れることが出来るんでしょうか?
考えうる内、もっとも優れた方法は“一切逃げないこと”だと言えます。
つまり、現在進行形でイタい行動を選択し続ければ良いワケです。

例えば、このブログ。
冷静に振り返ることで「うわー、俺って何してたんだよ><」と思うこと請け合いデス。
だから、更新を止めないこと。
コレなんデスよね。

継続は力なりって言うじゃないデスか?
現在進行形なら、自分がイタいってことに気が付かずに済むんデスよ。

渋谷にいたヤマンバとか、ヤマンバingだった時とかは「自分が残念な状態にある」ってことなんて気が付きもしなかったと思うんデスよね。

でも、彼女達はヤマンバを辞めてしまいました。
ぶっちゃけ、現在の彼女達にヤマンバ時代の写真を見せたら、顔を真赤にしてベッドの上でのた打ち回るとか、そんなレベルじゃ済まないと思うんデスよ。

というかヤマンバなガールが消えていく理由は、自分の衝撃的なイタさに気がついて自害したからなんじゃないか、と不安な気持ちになってしまいます。

そう、だから気が付いてはいけないのデス。
イタいならイタいままを突き通さないと命の危険が危なくて馬から落馬なんデスよ。

気が付いても気が付いてないフリ。
気が付いてないから気が付いてないから気が付いてないから!

そう自分に言い聞かせることが肝心なワケです。

だから、ボクは今日も尿道にスルスルと釣り糸を挿し込んでいく作業をヤメるワケにはいあかなかったのでした。

オナニー気持ちイイお^q^
posted by 二酸化硫黄 at 03:06| Comment(3) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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